いよいよ、来年は日韓併合一〇〇周年の記念すべき年になりました。
世間では、なぜか盛り上がってないですね。残念です。
私も10代の頃は、左翼思想でした。大学で正しい歴史を学び、今では左翼撲滅のセンターフォワードまで成長することができました。
ということで、日教組が教えたがらない本当の日韓併合についてお話します。
日清天津条約の後の1880年代後半のお話です。
日清天津条約
日清両国は朝鮮から即時撤退する。
日清天津条約の結果、日本軍も清軍も朝鮮を去り、朝鮮が自由に動ける時期になりました。
ここは一発、近代化・・・とまで行かなくても、独立国として体制を整えるチャンスです。
いま思うと、これがラストチャンスでした。
日本に頼って近代化しようとすると清が出てきますし、逆に清に頼ると色々口出しされる上に日本が出てきます。
清「(゚⊿゚)朝鮮はオレのモノだよ!」
日本「朝鮮は独立国だってば!」
朝鮮「オロオロ(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)オロオロ」
ここで朝鮮は考えました。
朝鮮「帝政ロシアさん、オイラを守ってね」
ロシア「ぜんぜんおk!」
ロシアも南下政策で、凍らない港が欲しいためノリノリでした。
しかし、朝鮮とロシアでの契約は密約であったため、当時の朝鮮の外務督弁(外務大臣のようなもの)はアメリカから軍事顧問を招いてしまいます。
ロシア「約束したじゃねぇか!」
朝鮮「オロオロ(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)オロオロ」
隣国の3大国を同時に敵に回しました。
さあ、どうする朝鮮!
と、その前に当時の朝鮮を少し見てみましょう。
清と朝鮮
・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。
軍隊もなく、清の軍隊が駐屯し、貨幣鋳造件権も、外交権も清に奪われてた。
これは、清と朝鮮だけでなく10世紀ごろからこんな感じでした。1000年間も。。。
朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、 朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。
朝鮮の人口
1777年 1804万人の人口
1877年 1689万人の人口 わずか100年足らずで7%減少
1910年日韓併合時にはわずか1313万人の人口しかなかった。
客観的視点から見た朝鮮
また、当時の朝鮮を西洋人から見た有名な書物として、「イザベラ・バードの朝鮮紀行」がある。
在世界で発売されている英語版のイザベラ・バードの朝鮮紀行(Korea and Her Neighbors)は、イギリスの出版社が出したものと韓国の出版社が出したものと二種類がある。
この二種類の内容が違うことは、言うまでもありません。
For a great city and a capital its meanness is indescribable.
Etiquette forbids the erection of two-storied houses, consequently an estimated quarter of a million people are living on " the ground," chiefiy in labyrinthine alleys, many of them not wide enough for two loaded bulls to pass, indeed barely wide enough for one man to pass a loaded bull, and further narrowed by a series of vile holes or green, slimy ditches, which receive the solid and liquid refuse of the houses, their foul and fetid margins being the favorite resort of half-naked children, begrimed with dirt, and of big, mangy, blear-eyed dogs, which wallaw in the slime or blink in the sun.
都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。
路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて擦れ違える程度の幅しかない。おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められている。酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれた半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げまわったり、日向でまばたきしている。
つづく
0 件のコメント:
コメントを投稿