朝鮮は隣国の3大国を同時に敵に回しているころ、日本と清はこんな感じでした。
清「最近、日本は生意気だ。!」
清「人の土地(朝鮮)にちょっかい出したり、勝手に西洋化したりと、中華思想を教えんといかんアルヨ!」
こうして、清は軍艦を中心とした軍事技術を取り入れます。
特に「定遠」「鎮遠」いう軍艦はドイツ製で、後に「東洋一の堅艦」と言われるほどの一品。
船もでかけりゃ大砲もでかい。
他にも大小合わせて約50隻の軍艦をゲット。
清も大満足です。
これらの艦隊を「北洋艦隊」、このように清が欧米の軍事技術を取り入れたことを「洋務運動」といいます。
清「おい!日本!ちょっと船の調子が悪いんで、港に入って修理させてくれないか?」
日本「(゚⊿゚)面倒くさいけどイイよ!」
清の恐ろしさを日本に理解させるため、さっそく日本に見せびらかしに行きます。
もちろん、修理は建前で、呉軍港の地形や軍の配備などを調査するのが目的です。
軍艦6隻で大砲向けられては断るわけにも行きません。
結局、入港を許可します。
この時、呉の守りについていたのが、かの有名な「東郷平八郎」当時は呉鎮守府で参謀長を務めていました。
東郷平八郎「何じゃこりゃ!」
東郷平八郎「主砲に洗濯物が干してあるし、しかも甲板では、煙草のポイ捨てまでしてるし。。。」
東郷平八郎「勝てる。ウフッ。」
そして、北洋艦隊は長崎に入り5人の清国水兵が娼妓遊びをしていました。
清国水兵「娼妓さ~ん!早く来て~!」
がしかし、後からきた日本人常連客のほうが先に娼妓さんをGETしました。
清国水兵「許せん!」
彼らは、予約というシステムが理解出きなかったのです。
怒り狂った清国水兵は、暴れ始め当然警察がやってきます。
清国水兵「マッポが怖くて、水兵なんてできるか~!」
水兵、抜刀。警察官に斬りつけます。
当然、逮捕。
次の日
清国水兵約450人が逆襲に来ました。
結局、清国水兵は警察官と衝突。
死者10人、重軽傷70人以上という大乱闘に発展しました。
当然、日本は怒りました。
治外法権がある欧米とは違い、清と結んだ「日清修好条規」では、外国人犯罪を取り締まる権利があります。
乱暴した犯罪者を取り締まるという、あたりまえのことに対して、兵隊が街を襲うなんて・・・
これを機に日清関係は悪化。国交断絶のうわさが出るほどでした。
これらの事件を「長崎事件(又は長崎清国水兵事件)」といいます。
そして、
北洋艦隊と戦う方法を考えさせる機会を与え、東郷平八郎に対清戦の自身を与え、日本の清への敵愾心を煽っただけでした。
つづく
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